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ピアノ協奏曲 (ハチャトゥリアン) : ウィキペディア日本語版 | ピアノ協奏曲 (ハチャトゥリアン)[ぴあのきょうそうきょく]
アラム・ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調()は1936年に作曲されたピアノと管弦楽のための協奏曲。この作品によりソビエト連邦以外の諸外国で認められるようになった。演奏時間は約35分。 == 概要 == 1935年に初演されたモスクワ音楽院卒業作品である『交響曲第1番』に続く大作で、1936年のおよそ半年の間に書き上げられた〔11月28日には作曲家同盟の集会で2台のピアノにより試演され、ゲンリフ・ネイガウスやコンスタンチン・イグームノフ等から高い評価を得ている。〕。初演はハチャトゥリアンの希望で、レフ・オボーリンにより行われることとなり、初演までの間にオボーリンの助言を得てピアノ・パートの推敲が行われた。1937年夏の初演は一応は成功したものの、ハチャトゥリアンにとって満足のいくものではなかったらしい〔まず、オーケストラは(モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団ではなく)混成チームであり、リハーサルは一度しか行えなかった。ピアノは質の良くない書斎用のものであり、野外のコンサート会場の音響効果も酷かった。そして、聴衆も偶然その場を訪れた客に過ぎなかった。1963年、雑誌『ソヴィエト音楽』に「ハチャトゥリアン生誕60年を祝して、ハチャトゥリアンおめでとう」と題してオボーリンが寄稿した文章によると、「すべてが終わった時、私たちは公園の茂みの中にやっと作曲家を探し出すことができた。彼は白樺か何かを抱きしめながら、痛々しくむせび泣いていた。」(参考文献『ハチャトゥリヤン-その生涯と芸術』105ページより)〕。しかし、初演と同じ年の秋にガウク、ムラヴィンスキーが伴奏者となった演奏会はハチャトゥリアンも認める真の成功を収め、カバレフスキー、ショスタコーヴィチといった同僚作曲家からも評価された〔両作曲家の批評は、参考文献『ハチャトゥリヤン-その生涯と芸術』108-109ページに載っている。〕。出版に際して、功労者であるオボーリンに献呈されている〔オボーリンの独奏、ハチャトゥリアン指揮によるこの曲の録音は1956年に行われた。〕。 第二次世界大戦の勃発後、同盟国であるソビエト連邦への連帯を示すためか、戦時下にもかかわらず欧米での初演が相継いで行われ、イギリスでは1940年〔3月13日にロンドンでモーラ・リンパニーにより初演された。リンパニーは1945年にフィストゥラーリの伴奏で録音を行っている。〕に、アメリカでは1942年〔3月14日にアルメニア人ピアニストのマロ・アジェミアンの独奏、アルバート・ステッセルの指揮によりニューヨークで初演された。〕に初演されている。ウィリアム・カペルもこの曲を得意とし、演奏会で盛んに演奏して、この曲の知名度をさらに高めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアノ協奏曲 (ハチャトゥリアン)」の詳細全文を読む
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